バラードのかみさま


「それでね、おデコくん。」
 目の前の牙琉検事が膝の上に乗せた手をぎゅっと握りしめる。ぎゅっと締まった腕輪で彼が緊張してるのがわかり、何故だか王泥喜の心臓も鼓動を早めた。
 公共施設のど真ん中で、あるまじき台詞を吐こうとしていたとは思えないと思わず苦笑する。
 もしも、本当に目の前で叫んでいたら、牙琉検事はどんな反応を返してくれたんだろうか。何て答えを、唇は形づくったんだろう。
「…ちょっと、視線、痛すぎだよ。」
 牙琉検事が口元を抑えて頬を赤らめる。(いやいや、何でもないです)と両手を前に突き出してぶんぶんと左右に振った。
「いや、あの見ていたのは、其処じゃなくて、怪我したのかなぁと思って、その胸元の…「おデコくん!!」」
 顔を真っ赤にしたまま、牙琉検事は大きな音を立ててテーブルに両手を置いて立ち上がる。椅子に座ったままの王泥喜を睨み上げれば、。
「昨日の今日で、自分がやったことを忘れるなんて最低だぞ!」
「は、はぁ!?」
「それとも、ただの嫌がらせのつもりだったのか!?」
 出るとこ出る勢いの牙琉検事に、王泥喜は只ひたすらに焦りまくる。
「え、じゃあ、それ俺が昨日つけたキスマー…「恥ずかしいから、それ以上言うな!!」」
 胸元を片手で抑えたまま、牙琉検事はクッションが凹む程の勢いで座り込む。真っ赤な顔のまま、ぷいと視線を逸らした。王泥喜も耳まで赤くなりながら平身低頭状態で、上目に検事の顔を伺う。
「二度とこんなとこに痕なんて付けさせないからな。たまたま、怪我と間違われたから良かったけど、これからは服で隠れないようなとこ、絶対駄目だから。」
「はい…これからは気を付けます。」
 深々と頭を下げてから、王泥喜は前提が可笑しい事に気が付いた。

 …これからは?

「あ、あの、検事。ちょっと質問いいですか?」
「何?」
 牙琉検事の声には怒気が含まれているけど、にやける口元を抑えられない。
「これからも、していいんですか?」
「したくないのかい?」
 どんどん論点がずれていくような気がしたが、これは歓迎すべきズレ方だろう。王泥喜は、誘われるままにテーブルに両腕を置いて身体を乗り出す。
「したいです。」
「どんなことを?」
 横を向いていた牙琉検事の顔が正面を向いた。耳まで赤いのはさっきと変わらないけれど、何処か、そう楽しそうだ。でも、きっと俺の顔も同じように楽しげに違いない。
「俺は検事のように気障な台詞が出てこないんで、具体例を示させて頂いていいでしょうか?」
「証拠を提出って訳かい?」
「立証ですよ。」
 戯れ言を言い合いながら距離はどんどん近くなる。腕は痛いくらいに締め付けられているから、心臓は同じように鼓動を早めているに違いないと王泥喜は思う。
 身体からはみ出してしまいそうだ。
「好きですよ。」
「示して、おデコくん。」
 唇が重なる瞬間に、笑みを浮かべた牙琉検事が可愛らしくて、ただがむしゃらに唇を重ねた。二人を隔てるテーブルが邪魔で、膝を乗り上げると牙琉検事の腕が背中に回され、引き寄せられた。
 しっかりと巻き付いている検事の腕が、離したくないと言っているようでただ嬉しい。負けないように、王泥喜もギュッと身体全体で抱きしめる。
 お互いにキスだけでいっちまえるような歳ではないけど、こんなに離れがたいと思ったキスは初めてで、怖ず々と身体を引き離した時には盛り上がり過ぎてしまった感情に、気恥ずかしくなっていた。
 睫毛の長さに感心しながら、伏し目がちに視線を送る碧い瞳を見つめていると、痛いくらいに腕輪が締まった。

「ごめん。」
 牙琉検事がポツリ呟く。

 
…………………!? この展開で、まさかの謝罪に、王泥喜の目前がブラックアウトして見えた。

「……駄目って…事ですか?」
 そういえば、していいという許可を貰った訳じゃない。証拠を出してと言われただけだ。却下だってその選択肢には含まれてるに違いない。
「違う。」
 けれど、牙琉検事は首を横に振る。意味がよくわからなくて、王泥喜が言葉に詰まった。
「決めるのは君だよ、おデコくん。」
 牙琉検事は、仕立てのよさそうなシャツの釦を外すと、肌に直接貼ってある医療用のテープを剥がす。捲れたガーゼの隙間から、鮮やかな赤を帯びた痣が垣間見えて、王泥喜の顔は湯気が上がるかと思う真っ赤になった。
 たしかに、これは打ち身と間違えられても仕方ない。手加減…そう自分が覚えなければならないのは、声量と同じそれだと自覚する。
「…あの、本当にすみませ「最初についてたの、覚えてる?」」
 え、と顔を上げた王泥喜は、鎖骨にあった赤い痕を思い出した。
 成歩堂さんに残されたんだと思い込み、頭に血が登ったのだ。でも、こういう話の展開ならば、てっきり何処かでぶつけたとか、蚊に喰われたとかそういう類のオチなだと、そう思っていたけれど、どうやら違うらしい。
 覚えていることを頷きで返せば、牙琉検事は端正な貌を少し歪めた。
「あれは、本物。」
「え?」
「成歩堂さんにつけられたキスマークだ。おデコくんが言った通りだよ。君に知られたくなくて逃げ出した…食堂から。」


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